長渕的ギターとの出会いと陶酔
今夜はギターについて書こうと思う・・・・
自分のギター歴は中学時代にさかのぼる、中学に入り地域でも有名な厳しい顧問の居る剣道部に所属していた。毎日朝早くから走りこみ、結構遅くまで厳しい先輩に囲まれてかかり稽古地獄でコテコテにしごかれ、その後道場に赴きこれまたきっつい稽古をしていた。
それまで音楽とは聴くもので、演奏と言うとエレクトーンを小学校時代に数年通っていたくらいで、そこまで演奏に強い憧れは無かった。 (憧れというより、YMOなどのシンセサイザーーの近未来的な不思議な音に魅了されていた。)
だから、フォークやニューミュージックと呼ばれるジャンルはオヤジ(大人)の食べ物と、あまり聴く事は無かった。
中1のある日、野球部の沼田という同じクラスの友達が、「熱狂的な長渕ファン」と聞き付け、その話になった。 彼は熱く長渕について語りだし、「じゃ、今度聞いてみなよ 貸してあげるよ」と長渕をゴリ押ししてきた。
当時、長渕とさんまの区別がわからなかった自分は、試しに聞いて見ることにしたのだ。
彼が貸してくれたのは、「日召 禾ロ」のテープだった(確かCDではなかった。)
部活後の道場での稽古を終え、ヘロヘロになり帰宅し飯も食わずにそのまま寝てしまう事もあったのだが、疲れ果てた心と体を引きずり長渕を聴いてみた。
精神的にも体力的にも限界までシゴかれ、苦しみの中にいた俺に、長渕 剛の「STAY DREAM」が染みた。
「お前みたいな腰抜けは辞めちまえ!」と、どつかれまくられたつらい時は、泣きながら部屋でこの曲を歌いながらいつのまにか眠りについていた事がよくあった。
音楽を聴く事で癒され、唄うことでモチベーションを上げていたある時、無性に自分で演奏して、腹から声を出して唄いたい! と、思うようになっていた。
この前後で長渕師が盛んに使用していたのがヤマハのCWEやAPX50Sだった。
この薄い真っ黒のボディーにシングルヘッドのシングルカッタウエイボディー
欲しくて欲しくてしかたなかった。 今でも実家にあるが、叔父さんがそんな俺に自分が高校時代に弾いていた思い出のガットギターをくれた。
叔父の名前が剛なので、マジックでボディーには剛の名前がかいてあった。 最初はヘッドホンで曲を聴きながら、コードはめちゃくちゃでピッキングの練習をしていた。
ガットではスチール弦の音は出ないのでガットギターに鉄弦を無理やり張ってコードの練習をした。 誰も推しえてくれる者はなく、教本との睨めっこだった。
そんな時、ヤマハからAPXの長渕モデルが発売されるとの情報を音楽雑誌の立ち読みで知り、楽器屋にパンフレットを取りに行き、ヤマハに粘着で何時間も応対してもらい情報を得た。(やな中学生・・・)でもオペレーターの女性はとても親切だった。
結局有り金全部出して、残りは親に借りて初めてギターを新品で購入した。 現在けっこうな本数を所有しているが、品購入は後にも先にもこの時だけ。
ヤマハ APXー10S (TN) 本体15万 Hケース¥?万(忘れた)
真っ黒のピアノブラックで、シングルヘット。 でも長渕師のは勿論100超えで3本作られたとか? TsT←テリーズテリーって職人が担当だったらしい。
ヘッドは昔タカミネが出してたシングルヘットがついていた。 俗に言う「テレキャスヘッド」 フェンダー社のテレキャスターと同じ形のヘッドで、市販では手に入らない特注品だった。 しかも内部に無線も入っていて、音をそこから飛ばすらしい。 まさにライブ仕様。
ここで、数年間のギター購入欲求はひとまず収まるのであった。
APXー10Sは、いまだに現役で、友達の結婚式などの余興で活躍している。
しかしこの後、20代の半ば辺りから、どんどんギターが増えていくのであった。
~続く~
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